はじめに
私達は、情報が瞬時に伝達される情報通信のデジタル時代に生きていますが、国際貿易の完全な電子化に向けての進展は依然として遅いままです。国際貿易の完全な電子化に向けて飛躍することを阻む技術的な課題はありません。しかし、いくつかの法的な課題が残っています。
2020年9月、デジタル・文化・メディア・スポーツ省(以下「DCMS」)は法律委員会に対し、電子文書の占有・移転に関する法的アプローチによって生じる問題を解決するための勧告を行うよう要請しました。また、DCMSは法律委員会に対し、勧告を実行に移すための法案を作成するよう要請しました。この要請により、2022年10月12日に電子取引法の法案(以下「本法案」)が国会に提出されました。
本稿執筆時点で、貴族院で審議を開始した本法案は、庶民院で第 1 読会を終え、まもなく法律として制定される可能性があります。そこでUKクラブはこの待望の本法案について、メンバーの皆様にブリーフィングを提供させていただきます。本法案は制定後2ヵ月内に施行されるようになります。
占有(possession)と移転(transfer)の問題
まず、取引文書とは何でしょうか?取引文書とは、貿易取引の際に作成する必要のある書類の総称です。国際貿易の関係者には、貨物関係者、運送業者、保険会社、銀行、政府機関、ターミナル、税関などが含まれます。貿易取引の際には様々な取引文書が作成され、当事者間でやり取りされます。
取引文書の中には、その機能のためには文書の占有(Possession)に依拠する一定の文書が含まれています。これらの文書では、貨物に対する権利や支払いを求める権利など、文書に記録された義務の履行を請求する権利は、文書内に存在し、文書の移転とともに権利も移転されます。
占有に関する判例を検討した結果、法律委員会は電子取引文書の問題を次のように総括しています;「現在のコモン・ローの下では、占有されるためには、占有されている物とみなされる必要があり、占有されている物とみなされるためには、有形であることが必要です。」電子形式の取引書類は有形でないため、「占有可能」ではありません[2]。そのため英国法では、電子形式の取引書類は、物品の引渡しや金銭の支払いに対する権利を行使するために、紙媒体と同じように使用することはできません。
この法律はどのように機能するか?
法律委員会は当初、明確化された文書のリストに法律の改革を適用するよう勧告することを検討しました。協議の結果、「将来を見据えた」法令のために、非網羅的な文書のリストという案が代わりに採用されました。法律委員会は、既に電子形式で使用できる文書が新法の下で追加な負担を受けることとなる事態を避けるため、推奨される改革は、法的・商業的機能を果たすためには占有に依拠するような文書のみを対象としています。
そこで法案第1条(2項)では、英国で一般的に使用されている紙媒体の取引書類の例として、以下のものを挙げています:
- 為替手形;
- 約束手形;
- 船荷証券;
- 荷渡指示書;
- 倉庫証券;
- メーツ・レシート;
- 海上保険証券;
- 貨物保険証明書
海上運送状、航空貨物運送状、通関書類、原産地証明書、品質、数量証明書など、一般的に使用されているものですでに日常的に電子化されている書類はリストに含まれません。
法律委員会は本法案で達成を目指していることを説明するにあたり、UNCITRALのMLETR[3](UNCITRALが制定した「電子的転送可能記録モデル法」)、特にその中の第7条と第11条に言及しました。MLETRの第7条は、「電子的移転可能記録は、それが電子的形態であるという理由だけで、法的効果、有効性又は法的強制力が否定されてはならない。」と規定し、第11条は、電子的移転可能記録の占有と「独占支配」を有することを同一視しています。
法律委員会は、「支配」の概念に頼るよりも、「占有」の概念の適用を電子取引文書に拡張する方が、より明確的かつ直接的であると判断しました。これは国会が、電子取引や電子文書が紙媒体と機能的に同等であることを規定する法律を制定することで実現可能です。これにより、電子取引文書も同様に現行の占有に関する法律の恩恵を受けることができるようになり、紙・電子媒体の取引文書について別々の法制度や法的な取り扱いの違いを設ける必要がなくなります。法律委員会は電子文書と並行して紙文書が引き続き使用されると予想しており、文書の媒体がその法的取扱いに影響を及ぼされるべきではないという見解を持っています。
最小限の介入アプローチ
法律委員会の勧告を支える主要な原則の1つは、法改革に対する抑制的で最小限の介入アプローチの重要性です。そうすることで、義務的ではなく、促進的な規定を作ることができるのです。業界では、従来と同様のルールと慣行に従って取引されますが、電子取引文書を使用するオプションが追加されます。ただし、取引文書(船荷証券など)が本法案に基づく電子取引文書として取扱われる場合、本法案の規定が適用されることに留意することが重要です。当事者は、本法案の規定が適用される場合、その規定を除外して契約することはできません[4]。
信頼性の高いシステム
本法案に基づく電子取引文書の要件は、信頼性の高いシステムを使用して発行されたものであることです;「第2条(2項):信頼性の高いシステムを使用する場合、当該情報は、論理的に関連する他の情報とともに電子的な形式をとるものとし、本法における「電子取引文書」を構成する。— ..」
一部の方の中には本法案に電子取引文書システムの要件が概説されていないことに懸念を示した方もいましたが、法律委員会は、このようなシステムの認定は業界標準によって対処するのがよいとの見解を示しました。デジタルコンテナ船協会(DCSA)の電子船荷証券の標準、クロスボーダー貿易を管理する標準を確立するICCのデジタルスタンダードイニシアチブ(DSI)、国際貿易のデジタル化のための普遍的なルール作りを目指すフューチャーインターナショナルトレード(FIT)アライアンスなど、新しい業界標準を指摘しています。したがって、法律委員会は、法案第2条(5項)において、特定のシステムの信頼性を評価する際に裁判所が考慮しうる要因の非網羅的なリストを提供するに留まりました。
現在の電子船荷証券プラットフォームはすでにデジタル取引を可能にしていないか?
本稿執筆時点で国際P&Iグループは、P&Iカバー上、9つのブロックチェーンやその他の技術に基づく電子文書プラットフォーム[5]のうち、電子船荷証券(「eBL」)は紙媒体の船荷証券と同等とみなされると承認しました。つまりこれらのeBLプラットフォームは、占有の問題を回避することによって電子取引を可能にしていますが、かなり制限された取引となっています。
これらのプラットフォームの機能は、電子媒体の取引文書を移転することで、紙媒体の取引文書の保有者と同様の立場になることを規定する多角的な契約枠組みにユーザーが同意することを前提としています。取引文書の物理的な占有から得られる権利とほぼ同等の権利を譲受人が得ることで、当事者の地位移転契約(novation)と債務者の承認(attornment)の概念が必要になる場合があります[6]。
しかしこれらの契約上の枠組みは、その取り決めに合意した当事者のみを拘束するものです。当事者の中でも、契約条件に合意した当事者に対してのみ(対人的な)権利を有し、どのような権利を有するかは、締結された契約の条件によって異なり、制限されます。これに対し本法案は、電子取引文書の保有者に、全世界においても執行可能な権利を与えるよう意図しています。
異なるeBLプラットフォームにおいては、その各々の間での取引、また、貿易・運輸業界における、銀行の既存システムその他の取引とを結びつける点で困難な場合もあります。より多くのユーザーをプラットフォームに呼び込むためには、相互運用性の向上が必要不可欠です。また、これらeBLの法的な効力は未だ裁判で検証されておらず、使用を受け入れることが躊躇されています。2021年DCSAは、海上輸送会社が発行する船荷証券は1600万枚で、そのうち電子化されているのはわずか1.2%であると推定しています[7]。
電子取引文書が紙媒体の取引文書と同じ効果を有するよう法律で定められた場合、当事者はこの点についての契約上の合意が不要になります。その結果、eBLシステムプロバイダーの多者間契約の終焉の兆しが見えてくるかもしれません。しかしプロバイダーは、顧客にペーパーレス取引以外のオプションも多く提供しており、今後もそのように対応していくでしょう。本法案では、電子取引文書の安全な移転を可能にするため、信頼できるシステムによって電子取引文書を発行することが求められています。本法案成立後の取引文書の電子化に対する需要の増加に対応するため、e-BLシステムプロバイダーは有利な立場にあると言えます。
結論
現在の紙ベースの国際貿易は、明らかに持続可能ではありません。紙を作るために多くの木が伐採され、紙を印刷/配達したりすることで多くの公害が発生しています。また新型コロナウイルスの流行は、紙ベースの取引システムがいかに崩壊しやすいかを示しました。国際貿易の電子化への移行は、上記の課題の解決に加え、取引の透明性と安全性を高めます。また、取引完了までの時間を短縮することで、保証状の発行が必要になる可能性を低減することができます[8]。
しかし国際貿易は定義上、国家間の取引です。したがって、完全に電子化された国際貿易は占有と移転の問題の影響を受ける法管轄が、電子取引文書を紙媒体の取引文書と同等の効果を持つものとして認める同様の法律を制定した場合にのみ、実現可能となります。すでにいくつかの法管轄では実施されており、近いうちに多くの法管轄で実施されることが期待されます。
本法案が成立した際には、クラブより改めてお知らせいたします。上記のブリーフィングについてご質問がある場合は、UK P&Iクラブ日本支店へご連絡ください。
監修:田中庸介 (弁護士法人 田中法律事務所 代表社員弁護士)
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[1] 2023年3月23日に貴族院から庶民院に提出
[2] 占有可能なもの
[3] 2017年7月13日に国際連合国際商取引法委員会(UNCITRAL)で採択されたMLETRは、国内および国境を越えて電子的転送可能な記録の法的利用を可能にすることを目的とした国際的なイニシアチブです。2月1日現在、7つの法管轄がMLETRを採用しており(バーレーン、ベリーズ、キリバス、パラグアイ、パプアニューギニア、シンガポール、アブダビグローバルマーケット(ADGM))、その他いくつかの法管轄はMLTRE規定の一部を採用しています。UNCITRAL Model Law on Electronic Transferable Records (2017) | United Nations Commission On International Trade Law.
[4] 報告書第2章 第2.18項
[5] EssDOCS, Bolero International Ltd, E-Title Authority Pte Ltd, Global Share S.A. (edoxOnline platform), WAVE (WAVE Application), CargoX, TradeLens (TradeLens eBL), IQAX Limited (IQAX eBL), and Secro Inc. (Secro)
[6] これらの多者間契約が当事者の地位移転契約(novation)と債務者の承認(attornment)の概念にどのように依拠しているかについては、当クラブの出版物「Electronic Bills of Lading May 2017」をご参照ください。