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ERM(Engine-room Resource Management)訓練を考える
Date
23 July 2020 23/07/2020

はじめに

2010年のSTCW(Standards of Training, Certification and Watchkeeping for Seafarers)条約の改正(マニラ改正)において、船舶職員には従来の技術的な知識や能力に加えて、チームを有効に機能させ業務を行う知識や能力が要求させることになりました。このチームマネジメントの知識や能力の重要性を認識、向上させる訓練が、船長および航海士に対するBRM(Bridge Resource Management)訓練であり、船舶機関士に対するERM(Engine-room Resource Management)訓練です。

船舶の衝突・座礁といった重大な海難事故のほとんどは、操船業務におけるヒューマンファクターに起因するエラーの連鎖によって発生していると言われています。この人為的なエラーの連鎖を、チームを有効に機能させることで断ち切り、海難事故を予防することがBRM訓練の目的です。BRM訓練で船長・航海士はリソースマネジメントの原則である要員や情報の活用、効果的なコミュニケーションの維持や状況認識に関する知識やその重要性を学びます。BRM訓練は1990年代に欧米の海運界で導入され、その後、海難事故防止に有効であると評価され、船長・航海士に強制化されました。

一方、ERM訓練については、現状、IMO(International Maritime Organization)モデルもありませんし、これまでの実施実績もほとんどない状況ですので、各々の訓練・養成施設において試行錯誤しながら行われているのが実情でしょう。そもそも、ERM訓練は船舶の運航に影響を与えるような重大な機関事故の防止に有効であると言えるのでしょうか。

ERM訓練の目的

 
図1 海難事故統計

 

海上保安庁「海難の現況と対策について」(平成27年版)のデータをもとに作成

海上保安庁の平成27年の統計によれば、過去5年間の貨物船の海難事故の約70%は衝突・座礁といった操船に関わる事故で、機関事故は約17%です。(図1(a)参照)また、機関事故の原因の内、機関取扱不良などの人為的な原因が約60%を占め、人為的な原因が多いという点では操船事故と同じ傾向です。(図1(b)参照)

一方で、操船作業のように刻々と変化する周囲の状況を判断し、的確かつ迅速に対応しなければ事故に至るという作業は機関部門については限定的です。さらに、機器の誤操作や機関警報への対応遅れなどの人為的なミスがあっても、重要な機器やシステムには安全保護機能が装備されているため機器が自動停止し、またバックアップシステムによって予備機などが自動運転され、大きな事故に至ることを防止するようになっています。では、機関事故における人為的な原因とは具体的にどのような原因なのでしょうか。

一般社団法人日本海事協会(以下NK)が毎年、会誌で登録船級船のトラブルの統計や事故事例を「損傷のまとめ」として公表しています。この資料では船舶の航行に支障を及ぼした損傷事故を重大な事故と扱っていますが、2006年から8年間の重大な機関事故事例(409 件)を著者が分析したところ、以下のような傾向が把握できました。

・重大な機関事故の約80%はディーゼル主機関の損傷に起因している。
・重大な機関事故の約70%は機関運転管理や機器整備の不良などの人為的な原因で発生している。

また、2サイクルディーゼル機関の過給機損傷事故と4サイクルディーゼル機関の軸受焼損事故は事故件数が多く、繰返し発生している顕著な重大な機関事故で、多くの場合、以下のようなメカニズムで発生していました。(図2参照)  

図2 2サイクルディーゼル機関の過給機損傷および4サイクルディーゼル機関の軸受焼損事故の発生メカニズム

以上の分析結果やディーゼル機関の顕著な事故のメカニズムから、以下のような推測ができます。
・重大な機関事故の大半を占めるディーゼル主機の事故において、繰り返し発生している過給機損傷や軸受焼損事故は、多くの場合、燃焼不良や潤滑油の性状悪化などが原因で発生していますが、これらの不具合は突然、突発的に起こることはあまりなく、何らかの異常の兆候が事故の前にあったと思われます。例えば、燃焼不良であれば主機排気温度の上昇などの機関データの変化がかなり以前から現れていたでしょうし、潤滑油の性状悪化は定期的なストレーナ掃除や性状分析などで知りえたと思われます。
・よって、機関部門の乗組員全員がそのような異常の兆候に気付かず見逃した、または少しおかしいと気付いていたが原因究明などの適切な対応が取られなかったために、最終的に事故に至った場合が多いのではないでしょうか。
・そうであれば、乗組員が行うべき機関運転状態の良否の判断や機関の点検・整備に対する認識が十分でなかったと考えられ、乗組員の機関プラント管理に関する知識や能力に問題があったのではないかと推測されます。
・また、陸上の船舶管理者も乗組員が適切に機関プラントの管理を行っているか、十分な注意を払っていなかったのではないでしょうか。よって、これらの重大な機関事故は乗組員のミスが原因であるばかりではなく、海陸連携した安全管理システムが十分に機能していなかったから起ったとも言えると思います。

こうしてみると、重大な機関事故の多くは、人為的な原因ではあっても、機関室でのチームの有効活用で人為的なミスを排除できなかったことが直接的な原因であるとは単純に言えないように思います。

一方、機関室での業務のほとんどは、要員、設備、情報などのリソースをフルに活用しながら、機関部門のチームメンバーや船橋当直者などとの連携を必要とするチーム作業です。良好なコミュニケーションやリーダーシップなどでチームを有効に機能させることは、チーム作業を円滑に実施するために非常に重要です。よって、良好なチームマネジメントを維持することが良好な職場環境を創り出し、結果的には様々な機関事故防止に繋がると言えるのではないでしょうか。
また、先のNKの重大な機関事故事例の分析では扱いませんでしたが、人身事故は機関室内での業務における大きなリスクで、避けなければいけない重大な災害のひとつです。人身事故の原因は不適切な作業手順やコミュニケーションミスなどのヒューマンファクターに起因することが多いと思われますので、ERMをレベルアップすることが事故予防に有効であると思います。
したがって、ERM訓練の目的は直接的な機関事故予防と捉えるのではなく、機関室の業務においてチームを有効に機能させ、業務の安全性、確実性や効率の向上を図ることであると考えるのが良いのではないでしょうか。著者の経験で言えば、技術的な知識や能力は高いのですが、チームで仕事をすることが苦手な船舶機関士も少なくないように思います。ERM訓練を機関プラント管理業務において船舶機関士の職務レベルを向上させる訓練のひとつとして考えれば、訓練の目的が明確になるのではないでしょうか。
また、一般的に企業で行われているリーダーシップ研修とは違い、ERM訓練ではチーム員全員が参加、理解しチーム力を高めることを目指しています。これは、チームを機能させ目標を達成するためには、リーダーシップだけではなく、チーム員の貢献や意見の具申、いわゆるフォロワーシップが重要であるという近年のチームマネジメント考え方と合致しているところです。そのような点からも、機関長や船舶機関士にERM訓練は重要であると思います。

 

ERM訓練の紹介

ERM訓練の目標はBRM訓練と同様に、機関長・船舶機関士がリソースマネジメントの原則である要員や情報の活用、効果的なコミュニケーションの維持や状況認識に関する知識やその重要性を学び、チームでの業務遂行能力を高めることです。
実際の訓練は、エンジンルームシミュレータを用いて作業中に発生したトラブルへの対応を訓練教材にして実施する場合の他、シミュレータを用いずに不具合のケーススタディをチームで実施する方法も行われているようです。トラブルなどへの対応をチームで行う訓練はチームマネジメントの訓練に最適なシナリオですが、船内で日常的に実施される作業前ミーティング(Tool Box Meeting)や入渠時のプラントアップ、プラントダウンのような特殊作業を訓練教材にするのも良いと思います。

著者は大学学部4年生を訓練生にして、PCベースのデスクトップ型エンジンルームシミュレータを用いたERM訓練を実施しました。訓練の概要は以下の通りです。
1)訓練プログラム
①訓練プログラムの説明
②ERMの基礎知識などの事前学習および報告・連絡などのコミュニケーション練習
③ブリーフィング:訓練シナリオの内容、訓練目標の説明
④訓練シナリオに基づく実訓練
⑤デブリーフィング:実訓練の振返り、評価
⑥同じ訓練シナリオで④と⑤をもう一度繰返す

2)訓練シナリオ
①大洋航海中に主機関の異常アラームが発生する。その際の当直機関士とオイラーの対応を訓練教材にする。
②2名の機関士の機関当直交代の引継中に機関室ビルジの高位アラームが発生する。その際の機関士の対応を訓練教材にする。
③出港のための機関プラント準備作業中に、機関長は船長から直ちに出港したいと要望される。その際の機関長と他の機関士の対応を訓練教材にする。

3)訓練の評価
シナリオごとにリソースマネジメントの原則を盛り込んだ訓練目標を設定し、具体的な評価項目を記入した評価シートを作成しました。評価は評価項目ごとに4段階の評価点で数値化し、訓練生自らの自己評価とインストラクターの評価を個人ではなくチームに対して行います。また、デブリーフィングにおいては、良かった点、改善すべき点についても、訓練生自らが意見を交換するようにしました。

 
図3 訓練風景

効果的な訓練のポイント
学生を訓練生にしてERM訓練を実施しましたが、効果的な訓練のためには、以下のような点に注意が必要であると感じました。
・訓練のシナリオは訓練生の実務経験や知識のレベルを考慮すべきですが、特に学生のような実務経験の乏しい訓練生の場合は、トラブルに際しての技術的な対応方針や方法の事前学習が必要です。
・エンジンルームシミュレータを用いて訓練する場合は、訓練生がシミュレータのモデルとなっている機関プラントを理解し、シミュレータでのプラント操作ができることが前提です。この点は船橋内の機器の構成や操作がどの船舶でも似ているBRM訓練と少し異なっている点で、事前に十分な理解や習熟のための時間が必要になります。
・トラブルへの対応を訓練教材にする場合、トラブル対応に100%これでなければいけないという正解はありませんが、原則的な考え方や行動は存在します。そのような原則をシナリオ毎に具体的に評価項目とすることで、評価基準が統一され評価の数値化も可能になります。例えば、「当直機関士はOILERと適切なコミュニケーションを取ったか」という漠然とした評価ではなく、「当直機関士は機関制御室で得た情報を機関室内のOILERと共有できたか」と具体的な評価項目にするのです。
・シナリオに基づく実訓練後に訓練生全員で訓練を振り返り、良かった点や改善すべき点について意見交換し、訓練生自らが弱点に気付くことが訓練効果を向上させるために大切です。そして、インストラクターが自らの経験をもとに、訓練生に対して説得力のある説明や評価を行うことも重要なポイントです。

おわりに
最近、医者を中心とする医療界にも、医療ミスを防止するためにチームマネジメントなど非専門技術を学ぶ動きが広がっているという新聞記事を読みました。1980年代に始まった航空機業界でのチームマネジメント(Cockpit Resource Management)の考え方が、海運業界ばかりでなく鉄道、原子力、医療など様々な業界にも広がっているようです。
これまでは、管理者がリーダーとして如何にチームを有効に機能させていくかという点が注目されていましたが、ERM訓練のような考え方はチーム員(フォロワー)も一緒に訓練を受け、チーム力を全員で高めることを目標にしているところが違う点です。今後、ERMの考え方が広く理解され、機関プラント管理や機関室での作業の安全や効率が向上することを期待するところです。