1. ECDISと安全運航
SOLAS 第V 章第19 規則により、2012年より導入されたECDIS(Electronic Chart Display and Information System ; 電子海図情報表示装置)は、2018年全ての船舶の搭載が義務化され、従来の紙海図に変わり、ECDISを使用した新たな航海が始まりました。ECDIS導入にあたり、それを使用する船長、航海士は、ECDIS運用に必要な知識及び性能を習得するため、旗国承認のECDIS訓練を受講し、その修了証書を保持しています。
しかしながら、長年紙海図での航海に慣れた航海者にとっては、ECDISの多機能化、操作性、紙海図使用航海術とのギャップ等により、未だ種々問題が散見され、ECDISに関連する事故も後をたちません。ECDISの導入は、疑いなく安全航海に寄与するものですが、数百年を経過する紙海図での航海と違い、まだ導入後10年に満たないこの装置使用の問題点は多く、その装置の進化とともに、使用者の力量、言い換えれば、ヒューマンエレメントと折り合いをつけるかにかかっています。
本稿では、ECDISに関連する事故をレビューすることにより、その問題点を明らかにし、航海者の今後のECDIS Navigationに参考になればと思います。
2. 事故事例: “Muros”座礁事故とECDIS1
1) 事故概要
2016年12月2日、スペイン籍のバルカー“Muros”(2,998総トン、全長89.9m、喫水6.16m)は肥料を積載の上、英国TeesportとフランスRochefort間を航行していました。当時は、夜間で視界良好、南東の風6ノットから15ノットでした。
本船の電子航海計器(ECDIS、レーダー、BNWAS(bridge navigational watch alarm system;船橋航海当直警報システム))は、正常に作動していましたが、測深儀はTeesport出港後停止しており、また、BNWASは3分間隔で設定していました。
3日0248時(UTC+1)、“Muros”は、イギリスの東海岸、Haisborough Sandで座礁しました。自力で浅瀬を抜け出そうと試みましたが不成功に終わり、6日後タグボートの支援により離礁しました。乗組員の死傷や海洋汚染は免れましたが、舵のダメージにより、ロッテルダムに修理のため、曳航されました。
英国MAIB(Marine Accident Information Branch)は本事故の調査の結果、次のような事実を確認しました。
- 本船は、Haisborough Sandを横切る計画航路を設定していました。ECDIS上での航海計画は、2等航海士(2/O)により座礁3時間前に修正されましたが、船長の確認あるいは承認はありませんでした。(図-1)
- 小縮尺海図を使ったECDIS上の航路の目視でのチェックでは、安全では無いという確認はされず、また、同浅瀬が危険であるという警告は、“check route”という機能で自動的に示されるのですがそれは無視されていました。
- 2/OはECDISを使って本船位置を監視していましたが、本船が浅瀬を示す10mの安全等深線(safety contour)を横切るとき、何らアクションを起こしませんでした。
- 2/Oの行動は、事故時、良い状態では無く、また意識レベルが低く、しばしば眠っていたのではないかと思われます。
- ECDISアラームを無視したことは、2/Oが、時間内に危険水域を無事に避航しようとする警告であるシステム防壁を、解除したことになります。
- 2/Oは座礁後ECDIS表示を拡大し、海図表示方法を”standard”から“all”としました。(図-2)
(図-1:初期及び修正航海計画)
(図-2:海図表示を“standard”から“all”に変更(Haisborough Sand))
2)航海計画
①初期計画
2/Oは航海計画をTeesport停泊中に作成し、船長は、Teesport出港後、航海計画を確認し署名しましたが、同計画がTSS経由では無くNorth Hinder Junction経由だと気づきました。船長は、TSSルートに慣れており、2/Oに当直交代時の2350時に、航海計画を変更するように指示しました。
②航海計画変更
2/OはECDISのマウスを使い、初期航海計画上の幾つかの変針点(waypoint)を”drag and drop”で西側に移動させました(図-1)。ルート変更後、全体を確認したところ、Haisborough Sandに接近していることが分かりましたが、大尺度の海図にズームせず、安全等深線(safety contour)から1マイル以上離れていると思いました。その後、新しい航海計画をESDISに保存しました。このECDISは保存すると自動的に”check route”機能が働きますが、海図上で多くの潜在的危険物が航路に沿って表れました。しかしながら2/Oは、それらを確認すること無く危険物を示すECDISの画面を閉じました。
3)事後調査
本座礁事故の調査は2016年12月10日に実施され、次のことが判明しました。
- 警報アラーム故障
- 水深設定
o 深喫水安全等深線(Deep contour): 10m
o 安全等深線(Safety contour): 8.5m
o 浅喫水安全等深線(Shallow contour): 10m
o 安全水深(Safety depth): 7m
- ガードソーン(Guard zone)機能設定せず。等深線、ガードゾーンともパスワードで保護されており、航海士はそのパスワードを知らないため、設定変更できず
- XTD(Cross-track distance、航路横偏位) は、0.5マイル、航路警報は設定
- Teesport-Rochefort間航路で、”check route”機能により3,000以上の警報が示され、これには、Haisborough Sandの座礁リスクも含まれる
- 2/Oは”check route”機能は、通常使っていなかった
- 船長の方針としてECDISを使用する際、パイロット航行水域以外では、青いマーク(safety contour)を避けること、またパイロット航行水域ではパイロットの助言に従うこと、及びブイのある航路内を維持することであり、また、船長は、本システムを有効に使用するという2/Oの能力については信頼していた。
4)分析
①座礁
- 図-1に示すとおり、Murosの修正された航路は、直接Haisborough Sandの上を通過している。この浅瀬の中央部の水深は、5m以下であり、潮高も1.2m程度であるため、6mを超える喫水のMurosにとっては、座礁は避けられないものであった。
- 座礁予防をするためのECDISのシステムや機能が見落とし、故障あるいは無視されていた。
②計画変更
- 2/Oは航路変更にあたり、“drag and drop”で、簡単に数分間で修正し目視で航路を確認したが、Haisborough Sandを横切る航路が、安全でない、と認識していなかった。
- “check route”機能では、Haisborough Sandは危険物として強調されたが、これは表示された3,000個の警報の一つであり、これらはパイロット海域も含むものと思い、精査しなかった。
③見落とし
2/Oは、航海計画変更を当直交代直後に実施しなければなりませんでした。これは2/Oの航海当直業務の障害となるものです。
④位置監視
2/Oは航海中、次のことを怠りました。
- Bectonの変針点に至るまで、オートパイロットでの船首方位の調整をせず
- 本船ベクトルが浅瀬の安全等深線(safe contour)に向首していたが、反応せず
- 本船が10mの安全等深線を通過したが、反応せず
2/Oはこの時間帯、パフォーマンスが低下し、意識が低い状態であったと思われます。
2時間以上平穏なワッチであり、また、2/OはBNWASのリセットを担当する見張員とともに、快適な椅子に座っており、こういった状況が、2/Oの意識低下に影響したと思われ、短時間の睡眠に導いた可能性があります。
⑤ECDISの使用
ECDISには多くの有効な機能があることを乗組員は知っていますが、こういった機能を有効に使用しないため、乗組員は紙海図を上回るこういったECDISの利便性を著しく減少させています。
5)結論(直接事故に関係する安全事項)
- Haisborough Sandを通過するという航路は安全では無く、本船の喫水及び有効水深から座礁は不可避でした。
- ECDISの座礁予防に関するシステム上、手順上の予防手段は機能停止や無視されていました。
- 2/Oによる修正航路の目視監視では、Haisborough Sandを通過するという航路が不安全であること、また、その海域にブイが設置されていないということを、認識していませんでした
- 航海計画の変更という作業は、2/Oの航海当直業務と相反するものでした。
- 船長は変更航路を確認、承認しませんでした。
- 2/Oの本船位置の監視は、時間帯が影響し低い意識下にあり、これは、2/Oの能力を減じ、短期間眠りこんだ原因と思われます。
- 音響アラームとガードゾーンは、切迫した危険に対する当直者への警報を意味しますが、それの不使用とするソフトの設定は、ECDISの防御策を解除したということです。
- “standard”海図表示を使用したことは、表示情報量、及び航海計画が間違っていた時の目視監視の信頼性を制限するものです。
3. ECDIS航法の安全対策
1)ECDISとヒューマンエレメント
多くのECDIS関連事故から、次のような共通事項が浮かびあがります。これらは、ECDISシステム上の技術的問題ではなく、システムの不適切な使用や、船橋乗組員の不適切な業務、すなわちヒューマンエレメントからなるものです。
- アラーム不使用
- ガードカーソル不使用
- 自動航海計画チェック機能不使用
- 海図縮尺及び安全等深線の不備
- 乗組員の不十分な知識と訓練
2)とるべき行動
このような事故を回避する最良の方法は、航海者は、ECDISを他の航海機器と同様、航海の補助手段であるということをしっかり認識することです。
- 当直航海士はビデオゲームのようにECDIS画面をとおしての航海をやめるべきで、紙海図を使用しているように行動することです。
- 当直中、頻繁に行う他の手段による位置の確認は、必須です。
- レーダーでの確認は最重要事項です。
- 従って、当直航海士と見張員による有効な見張りが、これらの問題の多くを解決するでしょう。
人間の"目"が衝突予防に最も重要な"道具"であるということを、忘れないことが重要です。ECDISの今後のあり方や使用方法については、航海者、会社、組織や国などすべての関係者によって確立されることであり、航海上の課題に直面する最良の道具として、ECDISを使用することが求められます。特に船主(管理会社)は、自社の船舶に対し、ECDISを使用しての航海方法、すなわち諸パラメータの設定基準、位置確認の頻度、航海計画の策定方法や基準等、早急に確立する必要があります。ECDISの導入は、過去のレーダー、GPS、AISが導入されたことと等しく、安全航行に大きく寄与することは間違いなく、ECDIS航法の確立により、それが真の夢の航海装置となることを期待したいと思います。
以上