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The Capsizing of the Herald of Free Enterprise
Hiroshi Sekine
Hiroshi Sekine
Senior Loss Prevention Director
Date
27 January 2022 27/01/2022

概要

本事故は、ISMコード制定の契機になった事故として、注目されるものです。海難事故は従来船舶の過失のみを問われてきましたが、本件では、本船の過失だけでなく、マネジメント(経営者)の責任も重大であるということが指摘されました。このように船舶の安全運航は、船舶とマネジメント両者によって成り立つ、という考えが本事故により明確になりました。

1987年3月6日1805時(GMT)、ロールオン/ロールオフの旅客および貨物フェリーHerald of Free Enterprise(以下HERALD)は、David Lewry船長の指揮のもと、Zeebruggeの第12バースから出港しました。

HERALDには乗客459名、乗組員80名が乗船し、81台の車、47台の貨物車、およびその他の3台の車両が積まれていました。天候は良好であり、 弱い東風で、波やうねりはほとんどありませんでした。 HERALDは1824時、外側防波堤を通過しましたが、 その約4分後(1828時)に転覆しました。 最後の瞬間、HERALDは急速に右転し、左舷側が浅瀬に座礁し、完全に沈まず右舷が水面より上になり、船首方位136度で停止しました。水面下で急速に浸水し、その結果、190人以上の乗客と乗組員が命を落とし、 他の多くの人が負傷しました。HERALDが転覆した位置は、港の入口からのわずか約7ケーブル(約1.3km)でした。

分析

1. 直接原因

本事故の直接原因は、出港時に車両積込用の船首ドアを閉鎖せず、開けたままになっていたことです。この船首ドアに関係する乗組員の行動について検討します。

a) 甲板次長

甲板次長は、Zeebruggeを出港する際に船首の扉を閉める業務を担っていましたが、それを怠りました。彼は入港後から自室で寝ており、出港部署を知らせる船内放送でも起きず、HERALDが転覆し始め、寝台から放り出されるまで、眠り続けていました。

ここで次の疑問があがります。なぜ甲板次長の出港部署配置において、彼がいないことに気づかなかったのか? そして、なぜ一人の個人の潜在的な過失に関係なく、バウドアを閉じるという重要な業務が確実に実行されるという、見過ごしても問題が起きない(foolproof)システムがなかったのか?

HERALDの運航会社では、今回がこのような事故が発生した最初の機会ではなく、 1983年10月、同社のPRIDE号の甲板次長が眠りに落ち、「出港部署」が呼び出されるのを聞いていなかったため、ドーバーからの出港時、船首と船尾の両方のドアを閉じることを怠っていたことがありました。

1984年7月に発行された会社指示では、出港時に船首ドアが安全であることを確認するのは、主車両甲板(G甲板)の航海士の職務である、としました。しかしその指示はいつも無視されていました。

b) 甲板長

船首ドアのある甲板を最後に去った甲板長は、船首ドアの近くで作業しており、そこには、ドアを閉めようとする人は、誰もいませんでした。彼がドアを閉めなかった理由を尋ねられましたが、次のように答えました。“ドアを閉めること、また誰かがドアを閉めるためにそこにいることを確認することは、私の職務範囲ではない。また、出港部署がかかっていたので、誰もが自分の部署に行っていた。”彼は自分の職務を矮小に見ており、そういった彼の態度は、非常に不幸なことでした。

c) 二等航海士

二等航海士は当日、荷役の担当を一等航海士と交代するために甲板に向かい、一等航海士に会いましたが、一等航海士は、何ら説明をせず、しばらくGデッキに留まった後、一等航海士は二等航海士に荷役を任せました。

船が出航する予定の約10分または15分前に、G-Deckでトラブルがあり一等航海士はG-Deckに戻り、無線で一等航海士が指示を出しているのを耳にしました。二等航海士は、一等航海士が指示を出し始めたので、二等航海士はもはや荷役担当士官では無く、一等航海士がその仕事に伴う責任を引き受けたと思いました。従って、二等航海士は一等航海士と船首ドアの閉鎖の話をすることなく、出港部署である船尾に行きました。

d) 一等航海士

当時、一等航海士は出港部署がかかっていたため、船橋に行くようにプレッシャーを感じていたようで、甲板次長がGデッキに到着すると確信していたようです。しかし、一等航海士は船首ドアを確実に閉鎖するという自身の業務(duty)を果たさず、重大な過失を犯しました。

本件において、直接または間接的につながる多くの過失の中で、一等航海士の過失が最も直接的なものであると裁判所は指摘しました。

2. 出港プレッシャー

船首ドアを閉鎖するのに必要な時間は3分ですが、荷役士官が船橋の出港部署に行く前にGデッキに留まり、何故船首トアを閉鎖しなかったのでしょうか。荷役終了後、直ちに出港するように航海士は常に圧力をかけられています。本船では荷役が完了する前に、しばしば「出港部署」という指示が出されています。

会社が発行した「船橋および航海手順書」(Bridge and Navigational Procedures)」には、次のように述べられています。

  •  当直航海士(OOW)/船長は、出港15分前までに船橋にいること

 

OOW が荷役担当士官の場合、この指示は彼の職務に矛盾を引き起こすことになり、過去にも僚船の船長から問題提起をされています。

会社は、一等航海士がGデッキでさらに3分間待っていれば、この災害は回避できたはずだと主張しました。それは事実ですが、会社は一等航海士が船首のドアが閉まるまでGデッキに留まるようにするための適切な措置を講じていませんでした。

3. 船長

出港時、船長は一等航海士が船橋に来たのを見ましたが、本船がすべての出港用意ができているか聞きませんでした、また、一等航海士は何も報告をしませんでした。船長が出港準備を確認しなかった理由について、下記に示すようにいくつかの考慮すべき点があります。

船長が出港準備を確認しなかった理由について、下記に示すようにいくつかの考慮すべき点があります。

  • 船長は、本船に乗船するすべての船長によって運用されているシステムを単に従っただけであり、また、これは会社の上席船長によって承認されていました。
  • 会社により発行されている「スタンディング・オーダー」の中の指示には、船首と船尾のドアの開閉についての記載がありません。

 

この事故の前に、会社の船で船首または船尾のドアを開いたまま出港した航海が5回以上ありました。それらの事件のいくつかは、経営者に知られていましたが、他の船長達には知らされていませんでした。しかしながら、これらを考慮しても、船長は職務の遂行において重大な過失を犯し、その過失が今回の事故原因の1つでした。

4. トップマネジメント

この事故は上記のとおり、本船乗組員の過失によって発生し、その責任も彼らにあると思われていましたが、裁判所の調査により、根本的かつ重大な欠陥が会社(経営者)にあるということが判明しました。役員会は、船舶の安全管理に関する彼らの責任を認識していませんでした。取締役会のメンバーから下級監督に至るまで経営に関わるすべての人は、船舶管理に関する責任を共有していませんでした。会社の上から下まで、彼らはずさんな病気に感染したといえるでしょう。

5. 経営と上席船長との意見交換

経営陣と上席船長の間で、何度か会議があり、ここでは下記に示すようないくつかの苦情や要望が提起されたのですが、海務部門はこれらに耳を傾けませんでした。

  • 定員過剰で乗客を乗せて出港するという苦情
  • 船首及び船尾ドアに、開閉を示す表示灯を船橋に設置するという要望
  • ドラフトマークが読み取ることができない。
    船には、ドラフトを読み取るための機器が設置されていない。何ら復原性の情報も無く、しばしばZeebruggeを船首トリムで入出港しなければならない
  • Zeebruggeでバラストを調整するための高負荷バラストポンプの設置要望

 

6. 船首尾ドア表示灯

前記のとおり、船首及び船尾を開いたまま出港したことが何度もあり、1985年ある船長は会社に対して次のような要望を提出しました。

「最も重要な水密ドア、すなわち船首または船尾ドアですが、これらの開閉は、船橋には表示されません。航路の両サイドとなる岸壁と外海との間の距離は非常に短いため、操作の遅れや、ドアの閉鎖に支障がある場合、これは問題になる可能性があります。ミミックパネル(電光表示板)の表示灯は、そういった状況を船橋チームが確認するのに役立ちます。」
しかしこの要望は、経営者たちの次のような言葉で否定されました。

  • 甲板手が起きているか、しらふかどうかを知らせるための表示灯が必要か?
  • いいけど、我々は既に誰かにお金を支払っていないかい?
  • 問題があれば、ドアを閉鎖した者が船橋に言えばいいのでは?

 

裁判所はこれらに対し次のようにコメントしています
「これら責任感の適切なセンスの欠如となる答えに、コメントすることは難しい。表示灯を設置するという賢明な提案が、1985年に真剣な検討がされていれば、少なくとも1986年の初めに取り付けられた可能性があり、この災害は十分に防げた可能性がある。」なお、1986年には同様の要望が各船長から、5件ありました。

判決と勧告

1) 判決

判決は下記のように下されました。船長及び一等航海士の職務不履行が問われていますが、一等航海士の現場での職務履行違反がより重大とされています。
「Herald of Free Enterpriseの転覆は、船長、一等航海士、及び甲板次長による職務の遂行の重大な過失によって引き起こされたか、または一因となった。 また、船主の過失によって引き起こされた、または一因となった。船長の免許を1年間停止する。一等航海士の免許を2年間停止する。」

2) 勧告

裁判所は、次の3つのカテゴリーで多くの勧告を出しましたが、その一部を以下に示します。

1. 早急な対応

a) 船舶の安全:表示灯及び閉回路テレビの設置、岸壁の改造

b) 積載及び復元性:ドラフトゲージの設置、貨物重量、重量証明書の作成

c) 人命救助:問題点の改善(照明不足、救命胴衣装着の困難、エスケープの不足と使用の困難)、非常用照明、救命胴衣、脱出手段

2. 中期対応

復元性情報の支給とKGカーブの制限、荷役時の復元性の責任

3. 長期対応

デザイン、ダメージコンディションにおける復元性計算、海上における生存、浸水、エアパイプと車両甲板のドレイン処理

温故知新(Lessons from this accident)

本件を契機に1993年にISMコードは採択され、1994年SOLAS条約付属書に新たに第Ⅸ章を設け強制化としました。そして1998年より施行されました。ここでは本事故に関し、下記3点の原因・過失を、ISMコード条文を参照してその教訓(Lessons)を検討したいと思います。

1) 船首ドアの開閉に関する手順、及び責任が明確では無かった

ISMコード第7項 船内業務計画の作成(要約)
「会社は、主要な船内業務の手順書、必要に応じてチェックを確立しなければならない。またそれぞれの業務に適切な要員を割り当てなければならない。」
このように、会社は主要船内業務に関する手順書を作成しなければなりませんが、会社は手順書を作成するだけではその責任を全うしていません。その手順書を船舶乗組員がいかに確実に実行していくかにかかっています。これを実行させることが、会社及び船舶(船長)の重要な役割であり、マネジメントレビュー、内部監査、あるいは船内会議などあらゆる手段により実施していくことが重要です。

2) マネジメント(経営者)の責任回避

ISMコード第3項 会社の責任と権限(要約)
「2.会社は全ての要員の責任、権限及び相互関係を明確にしなければならない。」
本項目が、従来になかった考え方であり、ISMコードの基本となるものです。船舶を所有、管理するには、このような責任を負うということを経営者は常に認識していく必要があります。

3) 船舶からの苦情・要望(例:船首ドア表示灯)への対応

ISMコード第9項 不適合、事故及び危険の報告及び解析(要約)
「危険状態等が会社に報告された場合、調査、解析することを確実にする手順を含む」
このように会社は、本船からの苦情や要望に関し、その対応に関する手順を明確にし、それらに対応しなければなりません。

参考資料